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ヲタク

映画って好きですか?という問い。


まああんまり嫌いな人はいないですよね。見たことないなんて人もきっといないでしょう。誰もが思い出の映画の一つや二つあるものです。


ただ、アトラクションとして映画を消費する人が大半ですよね。コンテンツとして能動的に映画を摂取し語れる「映画好き」はいますか?


大学時代、気づくと周りには「映画好き」ばかりでした。 気づいた時にはもう遅かった。


当初私は映画は好きではないからあまり見ない、としていました。それは本当です。


人より脳の情報処理速度が遅いというか、もっと正確に言えば入り口が狭いんですよね。ゆっくり入れないとすぐにパンクしてしまう。消化も遅い。ちなみに胃の消化もほんとに遅い。


映画はとにかく情報が多いんです。あと情報が入ってくるスピードのイニシアチブをとれない。役者の演技、そもそもの脚本(ストーリ)とその背景、セリフとその口調や撮影技術、そんでもって音楽まで。かといってその意図を汲もうと考える暇は与えてくれない。見ている人なんかほったらかしです。私のような人間は。


それゆえに説明的。私にしてみれば。もちろんほのめかしてはいるけれど、それこそ原作がある映画なんか、さっき挙げた通り情報の絶対数が多いんだから、原作と比較すると必ずより説明的になりますよね。これはしょうがない。でもだから、そことの齟齬が起こるんじゃないですか。


そもそも同じ話を違う人が作るって変な感じですよね。まあでもこの辺は難しいところで一概に否定はできませんが。


私は次元を落とした原作の方が好きです。頭の中で、自分監督で映画化してる気もします。




とは言ってみたものの、何も知らずそんなことを言うのは説得力に欠けるな、と思い「映画好き」を始めてみることに。


その際大活躍だったのが「Filmarks」というスマホアプリ。やってる方も多いかと。

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大体の映画が検索でき、映画ごとにユーザーのレビューと採点が見れるという単純なつくりですが、TLは戦。用途を映画に絞ったSNSだからそうなるのも当然。センスの誇示、の応酬。(穿りすぎ)


なるほど。みんなここで切磋琢磨していたのか。からくりさえわかれば、と意気揚々とスタート。


とりあえずレビューの高い大名作を一通り見て足掛かりをつかもうといくつか借りて鑑賞。


近所のゲオでたまたま目に留まったのが「トレインスポッティング」。完全に選曲で決めた。


我ながら本当の意味での「映画好き」デビュー作がトレインスポッティングとはやるな、と自画自賛しているところです。なにこれ、めっちゃ面白いじゃん。と。


他の人のレビュー見ても、案外評価はまちまち。当たり前だけど。過激描写の耐性が強いことにも気づいた。それは次に見たキューブリックの「時計じかけのオレンジ」で確信に変わった。


あれ、案外いけるぞ。しかも映画って面白いやつは流石に面白いわ。単純な思考でした。



あとは映画に造詣が深くないことを言い訳にせずしっかりレビューを書くようにしたことは我ながら見事だ。とまた自画自賛。


勢いがついてさらに10作くらい見た。ついに映画にも進出だ―!



・・・・しかしある程度観て調子に乗った私はいったん小休止。そしてよくよく友人たちの記録を見ていると、Filmarksをやっている人全員が私の二倍近く映画を観ていること、当然私の観たものはとっくに鑑賞済み。極めつけは、Filmarksをやっていない、私が「勝っている」と思い込んでいた友人のアイコンが、「時計仕掛けのオレンジ」だったと、気づいた。だいぶ前からだ。



みんな一体いつの間に。どこにそんなモチベーションが。


私が映画についてたらたらと御託を並べていた間に、ずいぶんと距離をあけられていたことを知る、このむなしさ。


「無知の知」を座右の銘に掲げる筆者にあるまじき失態。えげつなくダサい。


その時偶然にも、あるツイートが目にはいった。


「ヲタクというのは保守的なところはとことん保守的で、要するに視野が物凄く狭い。面白いのは、というか面白がってもしょうがないけど、彼らは自分たちが深いと思っているので、=詳しいと思っていて、自らの狭さに無自覚なんだわね。」


ガシーンときた。自分ではないか。まるっきりこれじゃん。ヲタクじゃん。


頭ごなしに、否定的に「ヲタク」ということばを使っているわけじゃない。アイドルヲタクをどっぷり二年間経験した私であるので一次的な偏見はない。むしろ経験したからこそ、そのうえでの「よくないヲタク」の一面がこれだ。わかっていたはずなのに。


改めねば。「無知の知」でもって、謙虚に映画と向き合あおう。そう誓ったのだった。


しゃべくり文豪

ある友人のブログを読みました。


本人が文中で「論文調が書きやすい」と述べていた通りのまるで論文のような文章だった。確かに良くかけているように見える。しかし扱っている内容が内容なので、いまいち本当の出来については今の段階では断言しかねる。それっぽいだけかもしれないし。


と、ここまで書いて、「嫉妬してんじゃん!」と自分でも思った。そうかもしれない。




昔から私は自分の「しゃべくり」において並々ならぬ自信を持っていた。何気ない日常会話のどこからでも笑いをとれる。激励の言葉には異様な説得力がある。学生時代、なれそめ段階において私は「しゃべくり」のみでその後のクラスでの地位を思いのままにしてきた。私の師匠は島田紳助ただ一人だ。



それが、文章ではできない。会話でいうところの井戸端会議なら量産に次ぐ量産ができる。学生時代の感想文やレポートには困ったことはない。


しかしその文章に「笑い」やら「論理性」やらを付与しようとすると全くうまくいかない。自分では無論自信満々、余裕綽々、出来は非難轟々という始末である。文章のその先に目標が設定されたとたんに私は「しゃべくり無双」の時の勢いを完全に喪失する。


冒頭の友人は非常に長い付き合いになるが何を隠そう、まるで会話ができない。何を言っているのか理解できた試しがない。そんなやつなのである。


少し言い過ぎたが私の嫉妬はつまるところそこにある。ないものねだりだ。「おもしろい」文章をかける人に憧れている。そもそもこのブログの開設意図もこれに依るところが大きい。




そんな訳で、私は「しゃべくり」か「文豪」か、天は二物を与えないという説を提唱していた。





しかし現実はそんなに甘くない。「しゃべくり文豪」は確かに存在する。特に音楽関連に多い気がする。


その筆頭が、今現在男の頂点に君臨するスター星野源だ。

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歌も最高ギターも最高、ラジオもコントもコラムもMCもおもしろい、演技もできる。人気もすごいし文化的センスも半端ではない。そして、生死をさまようほどの苦しい経験もされている。敵わん。すごい。


お察しのとおり私は星野源を大変にリスペクトしているのだ。詳しいでしょう。


そんな星野源さんの著書「働く男」(買った)に、こんなことが書かれている。




「きっかけはただの憧れです。文章がうまい人に憧れていました。」

「『星野君に文章の才能はないと思うよ』といろんな人に言われましたが、そんなの関係ねえと奮い立ち」

「いつか、才能のないものが、面白いものを創り出せたら、そうなったら、才能のない、俺の勝ちだ。」

星野源(2015)『働く男』 文春文庫 p18、p19 より




しかと胸に響きました。才能のせいにしてはいけないという言い方ではなくて、「才能のないやつが面白いことが出来たら勝ちだ」なんて、最高すぎるな、と。


この言葉は今でも私の生き方を支えています。


だから私は、文章の才能もほしいのです。そのためにはどうすればいいのか。


気づきました。「しゃべくり」文章にすればいいのだ。



難しい言葉はつかえない。話は二転三転、話題も飛び飛び、論理性のかけらもない。


でも何となく、暇つぶしにでも読んでみたくなる。


そんな文章なら、努力すれば書けるようになるかもしれないと思いました。




そうなったら、しゃべくり文豪となった私の勝ちだ。



ひらめくということ

とある場面。



ミュージシャン「お風呂に入ってたら曲が降りてきて、裸にギターで作曲(作詞)しました!」


インタビュアー「すごーい!!!!」



こんなやり取りに聞き覚えありませんか?


私は音楽関連の番組や記事に目を通す機会が多いので何度も遭遇したことがあります。


「お風呂でひらめく」というのは作詞作曲をするミュージシャンの常套句です。ミュージシャンに限らず、クリエイティブなひらめきはお風呂で生まれることが多いような気がしますし、実際自分に当てはめてもなくはないなと。


そうなんです。なんかパッと聞くとその意外性とか、「すご!」って思ってしまいがちなんですが、私からすると別に不思議でもなくどうしてそんなに祭り上げるんだという感じです。


以前からのこの思いをぜひ形にしたいと文章にしてみることにしました。






シンプルなことなのですが、「お風呂ではスマホ(携帯電話)が使えない」。ほぼこれが答えです。


以前バイト先の店長が、「昔はカウンターから調理をすべて見られていたが、最近のお客さんは料理を待つまでの間スマホを見ているので気が楽だ」という旨の話をしていました。何が言いたいかというと、私たちはスマホの登場でほとんどの「スキマ時間」を消してしまっています。いいとか悪いとかではありません。ただ、暇さえあればスマホを見てしまうのは事実でしょう。


スマホは情報の化け物なので、簡単に多種多様な情報にアクセスしてしまいます。ひらめきというのは情報を得る段階ではなく、その得た情報を咀嚼して自分に落とし込む段階で生まれるものだと思います。スマホを見ていると情報過多で咀嚼段階まで行くことは少し難しい。


「スキマ時間」というのは、することとすることの間に生まれてしまったイレギュラーなインターバルなので、基本的にすることがない時間なのです。することがない時間にするのが「考え事」です。

「お風呂にもスマホは持ち込める」と言われそうですがそういう次元の話をしているのではありません。頭洗いながらはスマホいじれません。


そして補足的にまだいくつかの条件があります。その一つは「お風呂は参加と離脱が容易で生活に密着したものである」ということです。

スマホが使えない場面というのはお風呂以外にもありますよね。例えば映画館や美術館、飛行機もそうです。しかしこれらはお風呂ほど頻繁に没入できる場面ではありませんし、仮にひらめいたところで扉を出たらすぐに作曲スペースがあるわけではありません。

この部分においてお風呂は完璧です。たいてい毎日、別に何のノルマもなく入れます(入ります)し、ひらめいたらすぐギターとボイスレコーダーを手に取ればいいだけです。家の床が水浸しになるだけです。


そして「ひらめくためにそこに参加するのではない」という点も非常に重要です。お風呂は生活習慣のサイクルの中にあるだけであって、ミュージシャンもおそらくひらめきたいからお風呂に入っている訳ではないと思います。


ミュージシャンなので音楽スタジオで曲作りをすることも大いにあるでしょうが、音楽スタジオに入る目的は音楽ですよね。スキマ時間ではない、つまり咀嚼段階にないわけです。上の例の映画館や美術館もそうです。


お風呂は、お風呂でする動作に気を使うことはほぼありませんよね。つまり全く他事を考えながら動けます。これが非常に大事なポイントです。


つまり脳を回転させるのに余計なもの(情報)がない。服も着てないし、時間も大体30分前後でちょうどいい気がします。





別に難しい話ではありません。でもお風呂でひらめくのは当然といえば当然なのです。私はよく頭を整理したいときにお風呂に入ります。お湯ためるのが面倒でよく銭湯に行きます。

昨日も銭湯に行って、その帰りにこんなことを考えていました。


もう少し素直な心で生きたいものです。


お金がない。

ゴリラズって知ってますか?


Gorillaz.jpg



イギリスのバーチャルバンドです。つまりキャラがバンドしてるわけです。世界で一番成功したバーチャルバンドとしてギネスにも載るほどの実力を兼ね備えたクールなバンドです。

もちろん中の人がいるわけなんですが、特にそのサウンド面を担当しているのが、イギリスの世界的ロックバンドで「ブリットポップ」の立役者ブラーのボーカル、デーモンアルバーン(左から二番目)です。



blur.jpg



めちゃめちゃかっこいい。顔とか。

私はブラーが大好きなのですが、今回はゴリラズの話を。

ゴリラズは基本的に世界中の著名なボーカリストとフィーチャリングして曲を制作します。すごく大雑把に言うとレゲエ、ヒップホップの要素が比較的前面に出ているグルーヴィーなサウンドとボーカルが特徴的です。この音楽性であえてバンドの体を成してやってるのも好きです。キャラごとのストーリもきっちり作られていて、ベースの女の子は日本人なんです。その辺に私はすごく入れ込んでいます。

一番有名な曲はこれですね。「Feel Good Inc.」






ミュージックビデオの方が世界観は伝わるんですが、このライブがあまりにもかっこいいので。楽曲自体も最高なんですがその再現度も半端ではありません。

さて、今年ゴリラズは久しぶりにニューアルバムを出しました。



51KBRBRoEbL.jpg

「Humanz(ヒューマンズ)」というアルバムです。遅ればせながら今日聴きました。



とんでもない。その勢いのままこれを書いています。この文脈には全く詳しくないので語る材料もありませんがとにかく素晴らしいアルバムです。

これをひっさげ、フジロックヘッドライナーとして来日する今年。お金がない、でもゴリラズが・・・と悩んでいた私ですがどうしたらいいんだ。生で聞いた場合雷に打たれる可能性100%です。

もしノエルまで来日したらどうなるでしょう。一生後悔するでしょうね。

味方

お笑いが大好きです。

隙あらばお笑いの動画を見ています。本当にやめようと思うぐらい夢中になって時間をつぶしてしまいます。音楽と同じくらいの熱量が自分の中ではありますね。

お笑いと音楽には共通点があります。特に大学で軽音をやってからはそれを実感することが多いです。「舞台」でのパフォーマンスなので当然と言えば当然ですが。

「お笑いの基本は緊張と緩和。」これはピコ太郎こと古坂大魔王の言葉ですが、これは音楽にも当てはまりますよね。

これは話し始めると長くなるのでまた別の機会に書きます。


バンドには好きなジャンルがある程度ありますが、お笑いにはそれほどありません。でもそれは細かくジャンル分けされた多様な音楽の言語化しやすさのせいであって、せいぜい漫才かコントくらいの分け方しかされないお笑いでは好みを細かく言うのは困難です。つまり、お笑いにも好きなジャンルは存在する、と思います。わかりにくいだけで。

ブルータスという雑誌で以前こんな特集がされていました。

mannzai.jpg



すごい面白かった。お察しのとおり僕は漫才が好きです。コントより面白いとかではないですね。言葉だけ(実際にはトーンや間、表情や身振りも)で人を虜にする。かっこいいんです。心を打たれます。

たぶんほぼ全員の人が、「俺が一番面白いんや」という意思でお笑い芸人になり、お笑い芸人を続けています。実体のないしかもありふれた「面白い」という概念、そこへのプライド、芸事の世界はどれも大変ですが、特に「開かれている」という意味で、最も難しい職業だと思います。そこに憧れます。

一番面白い芸人は島田紳助さん。今主力の漫才コンビでは千鳥だと思います。他にもいっぱいいます。

私と漫才の関係や、漫才ブルータスを使った分析も今後やってみたいと思います。どんどんお勧めしたい。

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Author:人生
サイケデリックでフォーキーな音楽が好きです。

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